しらふで生きる。

今日は特別に作品を発表する回となっております。
神田桂一 2023.05.23
誰でも

おはようございます。少し配信が遅れてしまいました。申し訳ありません。

来週からは週一を守って配信を心がけて行きたいと思っております!よろしくお願いします。

・文春オンラインで、呂布カルマさんにインタビューをしました!

https://bunshun.jp/articles/-/62774

おかげさまでバズりまして、100万PVを軽く突破しました。彼の人の良さと地頭の良さがよくあらわれたインタビューだと思っております。

今日は、趣向を変えて、拙著『台湾対抗文化紀行』でボツにした章、アウトトラックをここで特別に公開しようかと思っております。読んでいただいて、もし興味を持たれましたら、ぜひ本編である書籍を購入していただけると嬉しいです。

それではどうぞ!

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異国の地に自由を求めて移動する人々はいつの時代にも多い。隣の芝生は青く見えるものだ。大抵は、どこの土地にもそれぞれの土地の自由さ、不自由さがあり、対してどこも変わらないという結論に達するのだが、僕が台湾に見た自由さも、ひょっとしたらそのたぐいのものなのかもしれない。

台湾に初めて旅立ったとき、僕は確かに日本でなにもかもがうまく行っていなくて、ふと旅した台湾に自分が求める自由を投影して、手を伸ばした。今思うと、そう考えるのが、妥当なのかもしれなかった。でも、僕は、なんとかそこに本当の自由があるのだということをこじつけようとして、取材を進めたのだった。それは、自分がうまくいっていないということを認めたくないということの証左でもあった。そんなことだから、この本を書くことはやがて行き詰まった。一行も書くことができなくなった。

僕は本当に台湾に自由があるなんて思っていたのだろうか。いったんそう思いだすと、筆がいっさいすすまなくなった。でも、僕は、思い直した。何度目かの訪台でのある男との出会いがきっかけだった。その男との出会いで、僕は台湾はやっぱり自由でいい国だなと思い直したのだ。台湾有数の歓楽街で僕が出会ったその男も、自由を求めて台湾にやってきた。男の商売は客引きだった。それも日本人ただひとりの――。

妖艶なネオンが僕の体を包み込んだ。それは甘く、とろけるように僕に絡みついて、離そうとしない。僕は必死にその誘惑を振りほどき、なんとか理性を取り戻す。

「怪しいからあんまり近づかないほうがいいのではないか」

そんな警告的な信号が、僕の脳から発せられた。それがこの街に来たときの第一印象だった。その街の名前は林森北路という。台北車站の北西に位置する大きな通りの名前で、その通り沿いやそこから伸びる路地に無数のスナックやナイトクラブがひしめいている。もともと昔から日本人街としても有名で、日本人の駐在員の遊び場となっている。ほとんどの店は日本人御用達で、五木大学とも呼ばれていた。林と森で木が5つだからだ。そこで、駐在員たちは、夜のホステスたちから、中国語や、台湾の慣習を学ぶのだ。

僕が、台湾に通いだしたとき、それまでは、いわゆるカルチャースポットがある街ばかりに通っていて、歓楽街はまったく興味の対象にはなかった。それに僕はお酒が飲めなかった。なおさら行く必要がない。行っても退屈するだけだ。仕方がないと言えば仕方がない。でも何度目かの訪台のとき、一緒に訪台したミュージシャンの友人たちと、ナイトパトロールと称して、初めてこの街に足を踏み入れた。僕たちは、そういう店にこそ行かなかったものの、宵っ張りの街を歩きながら、その雰囲気はたっぷり謳歌した。そして、やっぱり日本人が多い。どこから湧いてくるのか。それくらい日本人だらけだった。看板も日本語であふれている。バンコクのタニヤ(バンコクの日本人街)よりも何倍も規模が大きい。僕は、なんとなく、その街が気に入って、帰ってからも余韻を楽しんでいた。そして、この街で、印象的な日本人と出会ったのだった。

それは、ふたたびの台湾。仕事が一段落して、夜になり、僕は、林森北路にいた。僕はあるレコード会社の仕事で、台北に初音ミク(ボーカロイド)のライブに取材に来ていて、音楽プロデューサーに連れられてまたこの街に来たのだ。日本人向けの街だけに、歩いているとひっきりなしに日本語で声をかけられる。客引きである。ほとんどが、台湾人のおばちゃんであった。

「おねえちゃん、いらない?一晩4000元」

「お兄ちゃん、安いよ!キャバクラ、どう?」

僕らは、おばちゃんを振り払い、歩いていく。どこに向かうでもない。目的地などないのだ。ただ好奇心だけで歩いているだけ。その先に何が待ち受けているのか。それは、僕らにもわからない。僕らは、ただひたすら歩き続けた。そのときだった。

「ジャーン!」

こんな掛け声とともに突如脇道から、身長は160センチ前半くらい、時代遅れのダブルの背広を着て、細身で角刈りの男が僕の目の前にジャンプしながら現れた。なんなんだいったい。

「はじめまして!僕、ヒロっていいます。よろしく!」

意味がわからない。聞くと、この界隈で唯一の日本人の客引きだという。この、突如現れたヒロに僕らはなんだか魅せられてしまい、半ば好奇心と物珍しさ、半ば、哀れさから、ちょっとヒロの話を聞いてみることにした。ヒロは、

「ようこそ!」

と、手を伸ばし、僕らを道へエスコートした。何もかもが、大げさで古臭かった。でも憎めない。客引きされた場所から100メートルくらい歩いて、僕たちは、角にあるマクドナルドに移動した。ヒロは手慣れた様子でマクドナルドに入り、席に座った。注文はしなかった。無料で使うのがヒロの流儀のようである。さっそく僕らは矢継ぎ早にヒロを質問攻めにした。

「日本人で本当にただ一人なんですか?」

「そうですよ。僕だけです」

甲高い声でヒロはこう答えた。

「客引きだと、いろいろ縄張りとかヤクザも絡んでくると思いますが、大丈夫なんですか?」

「今のところ大丈夫ですよ!」

本当に大丈夫なのだろうか……。ヒロが心配になってきた。

ダブルのスーツが本当に暑苦しい。台湾は南国である。しかも季節は夏。なんでこんな格好をしているのだろう。ゴールドの腕時計をし、何のアピールかいまいちわからないいで立ちで、何者かを威嚇していた。

「なんでこの仕事につこうと思ったんですか」

と聞くと、ヒロの目が一瞬、輝き、少しの沈黙のあと、自分語りが始まった。

ヒロは静岡県の生まれ。幼少の頃は、いじめられっ子だった。それを見返すためにヒロはグレた。ヤンキーになったのだ。それが功を奏し、誰もヒロのことをいじめなくなった。その後、ヒロは鳶職になる。長く鳶職を続けていたが、世界で活躍したいと思い(この飛躍がヒロらしい発想)、突如台湾に移住、夜の街を彷徨い、客引きの商売に行き着いたという。名刺を作り、配り倒していくうちに、お客がつき、客が客を呼び、常連さんも増え、営業はいたって順調、日本からの客の電話がひっきりなしだという。

「おい、コーラ買ってこい!」

突如、ヒロが、横にいた男に剣幕になって命令した。

ヒロには弟子がいた。この弟子がまた、実に頼りないのだ。見ていて不憫になるほど……。僕らが移動するときに、タクシーのドアもまともに開けられなかった。彼は、台湾師範大学で語学留学するために渡台したが、落ちこぼれニートになって林森北路を彷徨っていたところをヒロに拾われたという。彼のこの先の人生を思うと、心配せずにはいられなかったが、僕がとやかくいう資格はない。ヒロに任せるしかない。

「そろそろどうするか決めてもらえませんか」

ヒロが、差し出した、選択肢から僕らはどれか選ばなければならない局面に来ていた。話を聞いてしまった手前、何か選ぶべきなのだろうが、僕らは、ヒロに興味があったのであって、ヒロの差し出すサービスには今回はあまり乗り気ではなかった。

「ごめんなさい。今回はやめときます。また利用するときは電話しますね」

そういって別れた。

 翌日、初音ミクのライブの会場スナップショットで知り合ったコスプレイヤーの女の子が働くメイドカフェに音楽プロデューサーとふたりで行った。ちょうどエヴァンゲリオンフェアをやっていて、僕らは、使徒の絵柄が描かれたラテを注文した。

「あのヒロってやつ、大丈夫なんですかね、下手したら殺されかねませんよ」

「うん、危ないよね、許可とってないって言ってたもん」

心配しながらも、ヒロの無謀さをどこかで愛している僕らがいたことは確かだ。どこか憎めないヒロ。今度会うときがあったら利用してあげよう。そうして時は過ぎ去り、いつの間にかヒロのことは忘れていた。しかし――。

2019年。僕は、また林森北路にいた。どうしてもヒロにもう一度会いたかったのだ。理由はこんな噂を耳にしたからだ。

「ヒロが覚せい剤か何かの薬で捕まって今刑務所にいる」

ヒロがそんなことに手を染めていたなんて、快活なヒロの姿からは想像できなかった。僕はその噂が嘘であることを自分で証明したかった。そして、またこの地に立ったというわけだ。手始めに、通りを何度か往復してみたが、「ジャーン!」と小道からヒロが突然、現れることはなかった。

中国人で日本語が話せるおばちゃんのポン引きにヒロのことを聞いてみた。しかし情報を得ることはできなかった。知らないとの一点張りだった。しかし、そこにはかすかな「かたくなさ」が見て取れた。僕の錯覚かもしれない。しかし、触れてくれるな、というサインが僕には確かに感じられた。しかたなく、昔もらった名刺の電話番号に僕は電話することにした。しかし何度電話してもヒロは出なかった。

こうなったら、ウェブに頼るしかない。インターネットで、ヒロを検索しても見事なほどにまったく情報が出てこない。しかし、日本人とおぼしき名前の客引きがヒットした。名前は、星野亮と言った。名前は違うがもしかしたらヒロが改名して新しくやっているのかもしれない。僕はその客引きが公開しているLINEにコンタクトをとった。日本語でやり取りしてきたので、もしかしたら本当にヒロかもしれない。さすがにすぐにヒロですか?と聞くと警戒される恐れがあるので、まずは、直接会うことを目指し、会話を進めた。

すると、あるマンションの一室に呼び出された。それは林森北路からやや北に進み、農安街という筋を西に進んだところにあった。呼び出されたマンションのドアを開けると、なんと、中国人がいた。ヒロではなかった。会話も翻訳機でなされた。しかたなく、僕は

「你知道hiro嗎?(あなたはヒロを知っていますか?)」

と訪ねたが

「不知道(知らない)」

とそっけない答え。あてが外れてしまった。こうなっては、ここにようはない。

僕は、適当な理由をつけて、マンションをあとにした。

一体ヒロはどこにいってしまったのか。麻薬で捕まってしまったのか。それとも、縄張り争いに巻き込まれてどこかに……。そして弟子はどうしているのか。今となっては何もかもが夢のように思える。台北の夜の街に一瞬だけ存在した日本人の客引き。それも台湾の自由さを象徴する人物だったことだったことだけは確かだ。いつかまたヒロに会うことができたら、僕は、人生楽しんでるかい?と聞いてみたい。そして、それはなぜだか叶いそうな気がする。(了)

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